◆ 2011年11月  広野工場復興11月

矢浪 裕志

 満額年金をもらえる64歳を迎えました。未だ報酬がそれなりにあるので年金を請求すると大幅にカットされてしまいます。もう少し様子を見ます。近頃、またぞろ年金支給年齢を68歳から70歳迄延ばすことを検討しているようです。民主党は限りなく自民党的になってしまった、と言うより官僚に使われてしまっていると考えたほうが正しいのでしょう。100年安心年金制度は何処でどうなったのでしょうか。

 今回は石巻に行った、ボランティアのI氏の第2弾を転載します。

 私の東日本大震災支援覚書―其のⅥ(2011.9.3.~12)

 2011.9.3.20.

 4、5、6.次と同じように新宿発9:00のJR・高速バスで仙台へ向かったが都賀西方PAを僅か過ぎた所で乗用車の横転事故に巻き込まれ3,40分道草を食ってしまった。此れが結果的には石巻駅から車を置いてある石巻専修大学行きの最終バス(18:00)に間に合わなく成り、タクシーを使う事に成ってしまった。(無駄な出費250-⇒1,460-)

 クロネコヤマト石巻渡波センター止にしてある荷物を閉店直前(17:59)に引取る。今迄、被災者の阿部大志様気付にしていたが色々と不都合が出たので今回からこの様にした。同様に宿泊に関しても7,8月は阿部大志宅に各5,6日泊めて貰って食事も貰っていたが此れもボランティアの本分に戻すことにした。私の場合はテントを張らないので車中泊が7泊、その他が2泊だった。

 事故で仙台到着が遅れたので牡鹿半島へ入るのを一日遅らせる事にして、気仙沼へ行くことにした。気仙沼は7年近く前(2004.10)に唐桑半島の日の出を見に行った帰りに半日近く滞在したことが有るり、聞きしに勝る漁港だと思った記憶に残る地でる。丑三つ時の事も有って人も廻りの風景も全く見えない。薄明るく成って(5:00)、船溜りに台風12号を避けて停泊していた鰹一本釣りの宮崎、高知、三重県等の漁船員が動き出した。其の一人に話を聞く事が出来た。一航海は8~10ヶ月で休みは船のメンテナンスの時に僅かだけ取れる。鰹は釣れる時は休まずに交代で釣る。乗組員は17~20人位いる。船には30年近く乗っているが大時化の時は今でも怖いと話していたのが印象に残る。

 気仙沼漁港や魚市場の事はヒヤリングが全く出来ず、概観しか判らない。写真を撮って来ているが石巻に比べれば良い様に見えたが、本当の事は判らない。南気仙沼駅を見に行ったが、駅舎は全く無く、周辺の建物も壊滅状態だった。

 牡鹿半島へ戻り、今回、特に感じた事はボランティアの事です。其の筆頭は三菱商事の全社挙げての取り組みです。4/21から日を空けずに社員から希望者を募り3泊4日でボランティア活動をしているそうです。私が会った9/9のメンバーは小渕浜で3,4人の斑に分かれて漁師のワカメの養殖の準備作業に精を出していました。震災半年の9.11は小渕浜の裏浜の重機では処理できない沼地の瓦礫処理を他の団体の方々と一緒にやていました。非日常の作業を大勢でやり、地元の漁師に感謝される、この快感は体験者だけが味会えるものでは無いでしょうか。詳しくは三菱商事のホームページをご覧下さい。

 次に、個人でのボランティア、と言ってもピースボートに参加しての事ですが、どちらも東京からの方です。先ずは、大田区から来ていた渡邊親子の例。大学二年の娘さんは友達とボランティアに参加する予定が突然、友達が参加できなく成り、お母さんが来ることに成ったそうです。留守宅は旦那と息子が守っているそうです。特にお母さんは楽しそうに作業をされてました。

 もう一つ、女子大生三人組の話をしましょう。彼女等は夫々別々でピースボートの水木金(2泊3日)コースに申し込み現地での班分けの時に一緒に成ったそうですが和気藹々と作業をしていました。余計なことですが、彼女等は一橋大の三年、早、慶大の二年生です。其れにつけても男子学生の頑張りの無さが気に成ります。草食系男子なぞと罵られて腹が立たないのかねェ。

 9.10には牡鹿半島の鮫浦地区の瓦礫処理に2~300人のボランティアが入っていました。この地区は津波で殆どが流失した地区で瓦礫が広範囲に散乱しており重機では不効率なので大勢の人手で一箇所に集めるのが最適な所です。暑い日でしたが皆さん、一生懸命に作業をされているのを見ていて、同じボランティアとして誇りに思いました。

 3.11は超早朝に小渕浜を出て、大川小学校へ行き供養塔に手を合わせてきました。児童74名、教職員10名が亡くなられました。お亡くなりに成られた方々のご冥福を改めてお祈りいたします。昨今、誘導がどうだのこうだのと騒がれていますが、私は現地を見て、教職員の10名が命を賭けて出した結論の末の行動、軽々にものを言っては駄目だと痛感いたしました。結果論でものを言っては成りません。教職員が逃げ出したと言う報道が有りますか、仮に有ったとしても命を賭けている事を忘れては成りません。

 最後に、牡鹿半島のボランティア活動をボランティアが統括しています。そのグループ(5名)の代表が遠藤太一君です。彼は3月末から牡鹿半島へ入り、既に、半年近くに成ります。私は以前から、彼らの財布の中身が気に成って仕方が無かったので、今回、初めて彼らに聞きました。其れによりますと、行政からの助成は宿泊場所と事務所して被災しているが辛うじて使用可能な牡鹿公民館の使用を認めてくれているだけで、未だに電気も自家発電で自費で賄っています。牡鹿支所が50m位離れた所に有り、其処へは通電済みです。何とか成らんのですか。馬鹿げた話です。如何成っているんでしょうか。運営費は自分等で捻出しているそうですョ。女性のメンバーは私は貯金を取り崩していて、底が見えてきたと笑って言ってますが、黙って聞き流して良いもでしょうか。被災者を支援することも大事ですが、遠藤君のようなグループを支援することも大事と思っています。私のよな考えの人が一人でも多く成る事を期待します。

 前回同様、お願いでこの便りが終ってしまい心苦しい次第です。
私の東日本大震災支援覚書―其のⅦ(2011.9.28.~10.7.)

 2011.10.16.

 7次は今迄とは違った、印象に残る牡鹿半島行きと成った。

 今迄の新宿8:00発の高速バスを9:20発の3列独立シートの高速バスに変えてみた。此れは、3列独立シートのバスとは如何なものかと思っただけの事、独立シートなので勝手が効きますが、只、出発が1時間20分遅いのが私には気に入りませんので今回限りの使用に成りそうです。

 さて、今回のメイン・イベントは10月1日に大原小学校で行はれた「親子紙飛行機大会」で、当日は心配していた天候は風が多少強いのを除けば秋晴れで暖かい良い天気でした。

 この大会は被災地の子供に笑顔と笑い声を蘇らせようと思い、6月末位から準備を始め、会場の大原小学校の校長や熊谷教頭、紙飛行機の製作の指導をして戴いた「仙台紙飛行機を飛ばす会」の那須先生やその仲間、紙飛行機のセットをご提供いただいた「日本紙飛行機協会」の荒木事務局長、ピアノの弾き語りで催しを盛り上げてくれたピアニストの大谷さん、他、多くの方々の協力で開催する事が出来ました。我が会の豊泉会長にも東京から来てご挨拶をさせて貰いました。

 風が強くて紙飛行機を飛ばすのには不利な気象状況にも関らず子供はそんな事にはお構い無しで大空に飛行機を飛ばし、走り回っていました。其れを見ている大人にも笑顔があり、其れを拝見して私はやっとホッとしました。ご協力戴いた皆様、本当に有難う御座いました。

 10月2、3日は池上洋通氏(自治体問題研究所主任研究員、NPO法人/多摩住民自治研究所研究員室長、NPO法人/日野・市民自治研究所理事)、石井山竜平(東北大大学院教育学研究科・准教授)、富山氏を案内して小渕浜、桃浦、石巻漁港を廻りました。

 10月2日には木村稔氏(71歳、7月31日まで宮城県漁連会長)と地元の漁師暦60年の元気な長老・阿部大志さん(72)に話を聞きました。特に沿岸漁業を守る為に行った武勇伝や今、問題化している漁業特区に関しての話には大変に惹きつけられました。

 夜は佐藤喜一郎(50)さん、木村隆之(35)さんの若手に一杯やりながら話を聞きました。佐藤氏は家も船も養殖設備も全て流された。此れから先の見通しは全く無いが留まっていては何も始まらないので前進している。この浜は活気が有り「皆につられてやっているところも有る」と話していた。全てをやろうとすると数千万円の資金が要るがそんな事を心配していたら前へは進めない。県や国が考えてくれるだろうとも話していた。

 10月3日は桃浦の後藤建夫(65)支部長、大山勝幸(65)牡蠣部長、大山龍雄(71)前支部長に話を聞く。大山龍雄氏は「牡蠣の養殖が復旧出来なければ漁師が離散して部落が無くなるかも知れないと感じたので、特区について真剣に考えた。俺、自身は最初は特区には反対だったが皆に聞いたら特区の受入れに賛成の意見が多かった」と話をされた。

 11:30~12:30は表浜支所運営委員長・木村千之氏に話を聞く。数少ない黒字の漁業組合の委員長らしく前向きである。「特区の力を借りなければ復旧出来ない様な漁師は早期退職すれば良い」と言っていたのが印象的だった。

 ヒヤリングの最後は石巻魚市場㈱ 取締役営業第二部長志摩喜代一氏でした。氏は利潤第一主義の企業人と海を相手にして来た漁師とでは難しいところがある。其の第一は企業人が「漁師の魂」をどれ位理解出来るのかだ。漁師は其処に魚がいる限り多少の時化でも漁に出る。企業人には其れが出来るのか、出来ないと我々市場人間も困ると話されていた。

 今、小渕浜ではアナゴが大漁です。道具を流されてアナゴ漁が出来ない人が多く、現在、アナゴ漁をしている人は5,6軒です。取れ過ぎて漁獲時期の制限をしています。取れたアナゴは活魚として築地へトラック輸送しています。

 此れからは東北は寒く成ります。仮設住宅の寒さに対する備えは充分では無いと報道されています。仮設住宅建設の過程を見て来ましたが本当にそうです。断熱材は無く、隙間風対策も不充分でした。兎に角、数合わせが第一で細かい所は居住者任せです。何をすれば寒さ対策に成るんでしょうか。行政の対策を待っていては何時に成るか判りません。と言ってボランティアが寒さ対策を施そうとしたらお金が幾ら掛かるか分かりません。私の知り合いが身の回りから暖めたらと言ってセーター、マフラー等冬物衣料品を集めてくれています。綺麗に洗濯してあれば喜ばれると思います。

 私は時期を見て「すき焼きの材料」セットをプレゼントしたいと考えています。出来れば皆で集まってすき焼きパーティーが出来れば良いのですがそんな施設は有りません。此れも何とかしたい事の一つです。言出したら切りが有りません。仮設住宅の耐寒対策は金のある所に任せ、我々小市民は身の回りや食の周りを暖める事にしようと考えています。

 今回も三菱商事のボランティア(20人)や東京トヨペット(23,4人)の連中に会いました。ブリジストンもバス二台で来ていました。可笑しなもので、お互いが、直ぐに気安く話が出来ます。此れからは大学生のボランティアが減る為、全体も減るとの事です。被災者からの要望も減るとは思いますが、心のケアーに関するボランティアは寒くて行動範囲が狭まる時こそ必要です。東北の寒さに負けず心を暖かく、豊にする奉仕活動をしたいと思っています。

 最後に、9月末日で石巻専修大学のボランティアセンターが閉鎖になりました。この施設には長い間、色々とお世話に成りました。私が始めて行った5月はテントで芝生が一杯で、全国から老若男女が集まっていました。私も多くの人と出会い、今も電話で話をしている若者がいます。

 私の車は5~9月は石巻専大のVCに毎月20日位駐車させてもらっていましたが今回、10/7に帰る時は以前、瓦礫の処理の時に知り合った地元の人の庭先に置かしてもらうことにしました。変なところで時の移ろいを感じています。

 皆様へ

 東北は此れから本当の寒さがやってきます。元気に頑張ってと思う気持ちだけでも結構です。被災地の人々と繋がって下さい。
それ以上に想う方は寒さ対策にご支援下さい。

 支援先は以下の通りです。

 義捐金の送り先;
 郵便口座 記号;10040  番号;19777561

 牡鹿半島を支援する会
 (オシカハントウヲシエンスルカイ)

 支援物資の送り先;
 クロネコヤマト 店コード;013-231
 石巻渡波センター止(イシノマキワタノハ)
 石見喜三郎

 2回分なので少々長かったかも知れません。

 メインバンクの研修旅行が10月後半にもようされましたが紅葉にはまだ早くむしろ暑かった気候でした。

 同じ広野工業団地内の富士フィルムファインケミカルズの“復興祭”と増築の安全祈祷に行ってきました。大勢が集まって賑やかでした。