◆ 2011年12月  広野工場20周年

矢浪 裕志

 緊急時避難準備区域を外れてから2ヶ月過ぎましたが、住民がもどった様子は聞こえて来ません。除染しているようにも見えていません。川内村の村長のように何時までに村に帰るとぶち上げて、広野町も必死になって帰れるようにして欲しいとおもいます。

 大雨の中11月19日に長男夫婦の披露宴を、インターコンチネンタル東京ベイでささやかに行いました。これは東日本大震災による福島第一原子力発電所の放射能汚染により、予定しておりました5月はそんな余裕はなく、のびのびになっておりました。近親者だけのささやかだけれど心にこもった時間を過ごす事ができました。以前に出席をお願いした方々には、この場を借りてお詫びいたします。

 先月同じ工業団地で10月の最終日に復興祭が開かれ広野町長はじめ大々的な行事になっていました。200人くらいの規模かと思われました。それに引きかえ総勢36人とこじんまりした広野工場竣工20周年記念をお祝い致しました。規模は小さいでしたが、中身は濃い充実した式典と祝賀会になったと自負しております。今回は特に従業員とそれを支えて頂いているご家族の方を主にしたつもりです。特に親しくさせていただいている得意先と顧問先に東京、神奈川、はるばる今話題沸騰の大阪から来て頂きました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。その時にお配りした挨拶文を掲載させていただきます。

                 広野工場竣工20周年のご挨拶

 拝啓 年も押し迫りご多用の日々をお過ごしのこと、皆様におかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご愛顧を賜り、ありがたく厚くお礼申し上げます。

さて 我社はこの12月3日をもちまして、広野工場が20周年を迎えることとなりました。3月11日あの東日本大震災による福島第一原子力発電所による炉心溶融があり、それに伴う放射能汚染により創業以来の危機に瀕しておりました。千年に一度の未曾有の災難に我々本社・工場従業員一丸となってたち向かっております。残念ながら数名は復興する前に列から離れてしまいました。これは致し方ないことと理解しております。
清新で意欲溢れた新たな人材の確保とその後のOJTによる早急な戦力化により、少しでも早い復興を目指しおります。これを機会に全従業員、決意を新たに社業に精励いたす所存でございます。次の10年に向かって何卒、今後とも旧に倍するご支援、ご愛顧を賜りますよう、心からお願い申し上げます。

末筆ながら、皆様の益々のご健康とご繁栄をお祈り申し上げます。

声は大きくはきはきと
   動作は速くきびきびと
      目標を持って震災を乗越える

                              敬具
もう残すところ僅かになりました、“終わり良ければ全て良し”と申しますように、このままの余韻を残して年を越したいと思います。 合掌