矢浪 裕志

 地中海地方・地域特有なのかもしれませんが、抜けるような青空が連日続きます。アドリア海からイオニア海に入ってもどこまでもそのままです。ここに太陽光パネルを張ると相当稼げそうです。飛行機でベネチアへ行きクルーズ船に乗り、バーリ(イタリア)で世界遺産のアルベロベッロ観光、次にカタコロン(ギリシャ)泊でオリンピア観光、サントリーニ島(ギリシャ)でイア島観光、ピレウス(ギリシャこの港の権利を最近中国が買い取ったニュースが報道されていました)からアテネ・パルテノン神殿観光、コルフ島(ギリシャ)でアヒリオン宮殿観光、コトル(モンテネグロ)そしてベネチアへ戻りました。今回観光したところは殆どが世界遺産に登録されていて近頃決まった上野の西洋美術館などはチンケで申し訳ないくらいですし、今度申請する九州のキリスト教関連施設は当分控えたほうが賢明だと思います。人がやっと行き交えるような細い路地と地道に積み上げたような人工的な家が、長い歴史の中で世界遺産化しています。11日間日本を留守にしている間大きなニュースが有りました。フランス・ニースの大型トラックによるテロと、トルコのエルドワン政権へのクーデター未遂事件です。残念ながら日本の参議院議員選挙の報道は見ませんでした。成田からカタール航空でドーハの悲劇のドーハ国際空港まで10時間強ここで乗り継ぎしてベネチアのマルコポーロ国際空港へ6時間強、時差があるので時間の感覚が分かりづらくなります。ホテルに入ってからは各自で自由行動になりました。ですが13時半から15時半までお昼寝休憩なのでバスの切符が買えない、ホテルから仕立てたマイクロバスは4倍ほどになったが時間優先で行きました。折角なのでサンマルコ寺院近辺の散策をしました。さんさんと降る日差しのもと、引ったくりに注意しながら商店街の路地を徘徊しました。夏休み中なので自分たちも含め外国人が多いように見えました。改めてグーグルアースで見てみるとバルカン半島は、ヨーロッパの火薬庫と言われているように、人種的にも宗教的にも複雑に入り組んでいることが分かりました。モンテネグロ(旧ユーゴスラビア連邦)のコトルでは2箇所の城壁を見てきましたが住民を守るためにいかに腐心したかが感じられました。高く厚い石垣で囲っているのですが、それでも殺戮が繰り返し行われたことが想像できました。数十年前にも現実に起こりましたし、最近のニュースにも裁判のことが報道されていました。

 永六輔(享年83)の訃報を聞いたと思ったら、今度は大橋巨泉(享年82)、がんを患っていた事は知っていましたが亡くなってしまいました。野坂昭如(享年85)は昨年の暮れに亡くなりました。80歳を過ぎるとになると持病が講じてそろそろお迎いの時期らしい。それぞれ永六輔は主にラジオ、大橋巨泉は主にテレビ、野坂昭如は主に文壇書籍類で活躍していて、彼らには強烈に影響を受けました。
反権力でそれぞれのマスコミで発信していて小気味よかった。3人共晩年は持病があり、それでもマスコミで発信しているのが目につきました。こんな風に反権力を振りかざしてなおかつ影響力をもった連中が今現在は余り見かけません。知らないだけかもしれませんが。ある1時代が終わってしまいました。
合掌!

 本社の営業が5月末と5月半ばに退職してしまいました。本社で採用するのは暫く振りで採用できるか危惧しました運良くパートの人を採用できました。7月半ばからのデビューです。

 今月は48期の決算が出ます。

モンテネグロ・コトルの別荘地
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城壁の中の通り
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千葉顧問の慰労会での挨拶
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バナナ美味しいよ
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本社の朝礼
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サンマルコ広場でビールとピザを待つ間
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船から見たサンマルコ広場
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最初の晩餐
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イタリア・アルベロベッロのトゥルッリ
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トゥルッリをバックに記念撮影
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ギリシャ・オリンピアの遺跡
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オリンピアの競技場
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一回目のフォーマルナイト
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ギリシャ・サントリーニ島の紺碧の空と海
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ギリシャ・ピレウスの日の出
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パルテノン神殿
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各国からの観光客
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1ユーロ払って記念撮影
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ギリシャ・コルフ島旧市街の観光客
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