矢浪 裕志

 研修生も日本に来て1年が過ぎ、無事何事もなく実習生に移行できました。プリント配線板製造作業二級技能検定に合格して、福島県知事佐藤雄平名の証書が送られてきました。これが実習生になる最低条件です。研修生として日本に来て暫くはホームシックになって、時折目に涙を浮かべている事がありました。特に1歳とはいえ若い研修生は、ふるさとや母親を思い出すと涙が出てくるようです。年上の研修生は背が150cm足らずですが、しっかりしています。人様には『姉妹ですか』と良く聞かれるそうです。先日JRに乗って“いわき”まで連れて行きました。実習生になったらこれからは他の従業員とほぼ同じ扱いになりますので、気分転換に“いわき”あたりに行ける様になった方がいいのです。電車に乗るのも『酔ってしまうから』と車に乗ると酔ってしまう研修生は嫌がっていました。『慣れること』そう言って強引に連れて行きました。行くときは一緒でしたが帰りは2人で帰るように言いました。不安そうでしたが年上の研修生は『はい大丈夫です』ときっぱりと言ってくれました。いわきで下りる時に帰り方を良く説明しました。次の日出勤したのを見て安心しました。それに『帰りはなんともなかった』と電車にも酔った研修生の一言にほっとしました。

 6月15日の夜、広野工場で小火を出してしまいました。14日の土曜日も15日の日曜日も工場に出ていましたが、気が付きませんでした。両日とも休みなので作業をした訳ではありませんでした。原因は耐熱フラックスにいれている、投げ込みヒーターの消し忘れにより、電線が加熱して漏電して周りの薬品の入っていたダンボールに火が燃え上がった。と聞いております。警備会社からの連絡で、消防車が来て消火器で消したそうです。その夜携帯に連絡があったようですが、その時は寝ていました。電話も夜9時には電源が切れますので、履歴は残っていませんでした。常務と高橋君は呼び出されて大変だったようです。大事にならずに良かった。気を引き締めなければ、消防署に提出した報告書にのっとり実行する事です。その後に設備類に影響が出ました。

 今年のJPCAショーは行きませんでした。本社に行くタイミングは、支払い日の前3日ほどと、給与締め切り後の給与計算に行くのが基本になっています。今回の日程はその間になっていて、迷いましたが結局は行きませんでした。盛況のうちに終了したように聞いております。現実的にはこれによって売り上げ増になった記憶はないのですが、お付き合いで出展しております。

 本社の解体が終わり、川崎市への引渡しそれに伴う残金の振込がなされ契約が終了しました。解体後の裸の地面を見ると、こんなに狭かったんだと思いました。これは他の人も同じ感想でした。残った土地に再度事務所を作ろうと思っていましたが。再検討が必要でしょう。益々発展する武蔵小杉の魅力がありますので、近くにはいたいと思いますが。

 経営指針書の時期になっています。今年は12日に千葉県野田市で1泊研修を兼ねて行います。経営指針書作りに追われています。