矢浪 裕志

 昨年暮れも押し迫った、27日新潟県は上越市の柿崎へ息子と行ってきました。妻の父親が亡くなりました。寝たきりになってからでも一昔になるようで、3年ほど前にお見舞いに行った時は、自分では何もすることが出来ておりませんでした。いわゆるスパゲッティー状態でした。食べるものはもちろん下の世話も自らでは出来ず、目を閉じていて意識があるのか眠っているのかも判断がつきかねました。反応は殆どなく1時間足らずのことなので詳しくは観察しておりません。家に戻りしばらく経ってから、『あのままじゃ気の毒だから早く何とかした方が良い』と言うような事を妻に話した覚えがありました。訃報を聞いた時はやっと終わったのだとほっとした気持ちになりました。それでも妻は目頭を濡らしていて、他人事のような私の思惑とは違い、溢れる想い出に去来するものがあったのだと感じられました。49日のお参りを1月の半ばにするので、また新潟に行ってきました。その時はそれほどでもなかったのでしたが、今年はことのほか雪が降り積もっているようです。不慣れな雪道の運転でしたが、少しは自身が付きました。

 米名門企業のイーストマン・コダックが19日に米連邦破産法11条の適応をニューヨークの連邦地裁に申請したニュースは、企業が存続することの難しさをあらためて示すことになりました。同じ銀塩フィルムメーカーとして一世を風靡した富士フイルムホールディングス(旧富士写真)はただし、コダックとは違って医療事業や電子部品事業、ドキュメント事業などの成長事業を生み出すことができた。両社の違いはどこにあるのか?事業再構築に携わったトップの姿勢が決定的な差を招いたのではないか。

 コダックは日本軍と同様に、過去の成功体験への過剰適応があったのではないかと思う。結果として知識破壊企業になった。一方の富士フイルムホールディングスは、銀塩フィルム事業に代わる新たな事業領域として設定した、ドキュメント、イメージング、インフォメーションの3つのソリューション事業がそれぞれ関係性を持っていることを高く評価する。いずれも銀塩フィルムで培った技術が生きているのだ。そのうえで、新しい事業の芽を育てていったのは、社長・CEOの意識である。 日経ビジネスより転載

 同じ広野工業団地内に“富士フィルムファインケミカルズ”が立地していて、今回の東日本大震災による放射能汚染、特に除染の知識や方法、測定の指導など協力していただいております。今回の件を踏まえて特に興味深くコダックの件は推移を見守りたいと思います。このことは我社にも当てはめてみて小企業ながら、ダーウィンの言うように生き残るのは強い者や優れた者ではなく変われる者だと改めて思いました。

 1月最後の金曜日にいわき湯本温泉“吹の湯”で新春交流会を協力会社の人たちに参加してもらい開催いたしました。広野工場に赴任してからやっておりませんでしたので5年か6年ぶりになるのだと思います。こんな時だから再開しました。遠くは静岡県の浜松市、雪深い秋田県の大仙市あとは関東地方、地元は我社と3社でした。こんな小さな会社の為に全国からお集まり頂きまして感謝いたします。今後とも宜しくお願い致します。2次会を含め遅くまで(私だけかも知れません)楽しみました。次回も開催できますように励んでまいります。200人以上泊まれる老舗旅館でしたが、その日は宴会が我々だけでした。コンパニオンに聞くと今年呼ばれたのは初めてだと言っていました。この辺はミニバブルだと聞いていますが、ささやかに浪費しているようです。