矢浪 裕志

 今冬はスタッドレスタイヤを履かずに終われるかと思っていましたが、そうはとんやがおろしませんでした。1月の最終金曜日は我社の恒例行事“新春交流会” を地元の湯本温泉で開催しました。当日の朝は雨が午前中10時ころからから雪に変わり、どんよりとした空から絶え間なく降ってきて積もりそうでした。あわてて、ガソリンスタンドでスッドレスタイヤに変えました。午後からも降り止まず、周りは白く覆われていきました。出席者の保険代理業予定社と広野工場を出たのが4時20分ごろでした。国道6号線は渋滞で少しずつしか動かず、このままでは遅れそうなので四倉インター(広野インターは事故で閉鎖)から高速に乗るために県道35号に向かいました。6号線を外れると嘘のように渋滞がなく、坂道は緊張してハンドルを握りましたが、予定時間内に到着しました。湯本付近は少ししか雪はありませんでした。ドタキャンもなく無事に終わることが出来ました。次回も出席の程宜しくお願いいたします。

 PDK21通信を発信している千葉工場長が入院の為会社に来ていません。以前から脊椎管狭窄症で歩くのも、座っているのもきつくブロック注射で紛らわしていました。それもままならず手術して直すことになり、暫くは休業になります。復帰は未定。“山林火災ロボットがんぱっぺ1号”の書類作成、ロボットの組立、調整など代わりにしていますので時間をとられます。期限が2月中なので追い込みに入っています。乞うご期待!

 もう67歳になりそろそろポツリポツリと、知り合いの訃報が目につく様になってきました。私などはまだまだ現役なので朝早く、夕方も早く出退勤しております。それでも病院へ行く機会が多くなりました。年明けに2冊の本とNHKのドキュメンタリー番組、そしてここ数日毎日のようにテレビの報道に目が行っていた、イスラム国での人質事件。これらの事はシンクロニシティ(共時性)のように身近に飛び込んできました。“こんな長寿に誰がした!”ひろさちやと養老孟司×隈研吾の対談書“日本人はどう死ぬべきか?”。イスラム国に殺害された2人の日本人湯川遥菜さんと後藤健二さんそして先日のNHKスペシャルで放映された“黒田裕子最後の日々 傷ついた人に寄り添って”黒田裕子さんの3人の死について考えました。彼女については少し説明しますと、“阪神淡路大震災”の時に看護師をしていたが、これを期にやめてボランティア活動に専念し、その後“東日本大震災”の翌日からそちらに活動を移し、癌にかかって生まれ故郷で亡くなるまでのドキュメンタリーです。天命によって死ぬのと、事故や、今回のように残虐な死では死ぬまでは意味が違ってきます。しかしなくなってしまえば皆同じです。人にとって『死ぬこと』が意味を持ったり、問題になったりするのは、『二人称の死』以外にありません。(2人称とは家族を含めた知り合いの死)彼らの死は私たちにとって『三人称の死』の死です。

 寿命の尽きた人間をいつまでも生かし続けるのは、やはり天命に逆らやっていることです。口から食べ物や水分を取れなくなったら、その人の天命は尽きているのです。人間は誰だって、年をとれば体のあちこちにガタが来るのだ。しかし、それは病気ではない。たんなる加齢現象だ。私たちは、老・病・死といった、思うがままにならないものを、思うがままにしようとして苦しんでいるのです。だからわれわれは、思がままにならないものを思うがままにしようとしなければいいのです。だから私たちは死んだあとのことを考えたり、思い悩んだりしないことです。それがキリストやお釈迦様の教えです。合掌!