矢浪 裕志
いわき市障がい者職親会の職場見学会“ドームいわきベース”に行ってきました。300人の社員パートタイマーの内、23名がいわゆる障がい者を採用して働いているとのことでした。給与待遇は変わらなくしていると言っていました。ここはスポーツ用品などの米国のメーカー、UNDER ARMOURの物流センターで、注文によって選定し箱詰めして出荷しています。作業としては返品の処理が多いそうです。同じ敷地にサッカークラブ『いわきFC』の合宿所とグランドが隣接しておりました。もちろんスポンサーでもあります。
次男一家と長崎のハウステンボスへ行ってきました。台風17号が直撃する日の前日に羽田から長崎空港に向かいました。翌日は朝から雨も風もありました。前日泊まったホテルが車で40分ほどのところを送ってくれました。ハウステンボスの“変なホテル”は部屋に入れるのが3時からなので、大きなロッカーに荷物を入れて園内に入りました。午前中はそれでも雨が止んだりしましたが、午後からは吹き付ける風雨にびしょ濡れでその日は園内の傘2本がだめになりました。園内の傘はしなやかさがなくおちょこになったら、だいたいそれで戻りません。それなりの傘はおちょこになっても復元されます。使っている材質が違うのでしょう。自分で持ってきた傘は何回かおちょこになりましたが、まだ使用できています。園内の夕食に行くレストラン会場は風雨の真っ只中だったので、お客が数えるほどしかいませんでした。朝食のバイキングではそれなりに賑わっていましたので、どこで夕食をとったのか疑問です。ハウステンボスの変なホテルを体験して見たかった。HISの澤田秀雄会長の一旦を知りたくて泊まってみました。デジタル技術に長けた人向きかもしれないと感じました。1泊しかしていないので偉そうなことは言えませんが。行く前から帰りの飛行機が飛ぶのか心配で行くまでやきもきしました。
10月の3連休に超大型の台風19号が東海関東から東北にかけて、大きな爪痕を残し通り過ぎて行きました。11日のその日は“経営計画達成会議”があり、前日から従業員の中で危惧する声があり午前中で半日休暇としました。その夜半に風が吹き雨が大量に降ったようです。翌日工場へ行っている時に某従業員よりO女史とT氏が被害を被ったようですと連絡がありました。近くを流れる“夏井川”が氾濫したとTVのニュースでも報道していましたが、2名の方は床上浸水して、通勤手段である車も水没したそうです。暫くしてそれぞれのお宅に伺って現状を見てきました。水を被ると大体その部分は作り直さないと家が痛むので大変のようです。だめになった家電や家具など積み重なって道路脇にありました。床下に残った泥などを洗い流し、もちろんその前に床上はきれいに洗浄して殺菌する必要が有ります。車を含めて色々と先立つ物が入用になります。
毎年のように大雨による河川の氾濫による被害が見受けられますが、堤防の決壊などによる被害は人災としか言えない。我が国では最先端の土木工事技術があるのだから、河川のどこに問題があるのかは判っているはずで、そこに何らかの補強をすればスーパー堤防にしなくとも、もっと強靭な堤防にできるのだと考えました。イージス・アショアなどにつぎ込むよりも、よっぽど日本国民の命を守ることにつながると思うのですが。
台風の前に妻の母親が亡くなり、常務と私で新潟の上越市まで出かけて行きました。その前にも危篤で妻は行っていましたが、小康状態になり一度戻っていました。時間の問題なのは分かっていました。告別式だけ社長もお悔やみに見えました。これで二人のそれぞれの親は居なくなりました。これからは私達団塊世代の介護や相続が経済的・精神的に影響を及ぼさざるを得なくなります。