矢浪 裕志

悪夢の中の5月28日から既に5か月が過ぎてしまいました。夏の初めから盛夏にかけては温度調整した部屋の中で2か月以上過ごしました。8月1日、真夏の10時過ぎにいわき医療センターを退院しました。2ヶ月と4日ほど居たことになります。退院する前は家族がリハビリ入院するようにと勧めましたが、私は断固拒否しました。なぜかというと病院に入っても治療等、やることはありません。結局リハビリ以外は、病院側の制度に合わせた生活をしなければなりません。こんなに長い入院生活をしたのは初めてでしたが、気に食わないことは食事時間が朝は8時・昼は12時・夕方は6時と制限されていたことです。私はだいたい朝が早く夜も早いという生活をしておりました。特に朝の8時というのには入院中はあきらめましたがまあ気分が良いわけではありません。中身はだいたい決まっていて、ローテーションで1週間位ほとんど同じメニューになります。ゴボウ、ニンジン、インゲン、など繊維系の食材が多く、朝食は牛乳が出ます。これは恐らく通じをよくするためだと思われます。米食、パン食、昼食だとうどんなども選ぶことができ、ここは良いところです。入院してから9日ほど通じがなく、事故の後は数日食欲がありませんでした。通じがあった日は下剤を2度ほど飲んでやっと出しました。横に寝たままだと力が入れにくく、起きておまるを敷いて通じがあったときは心底ほっとしました。退院後は自宅から通うリハビリを選択致しました。自宅から一番近いたちばな台病院でリハビリすることになりました。結論から言うとこれは正解でした。寝たり起きたり、食事に移動するというようなことを毎日することによって、病院で同じような行動をするよりも、よほど良いリハビリになっていると思いました。リハビリ自体も毎日のようにあるわけではないので、おそらく良かったと思います。家に戻ってからは何回か松葉杖を使って行動しましたが、それも数回でやめることにしました。松葉杖があった方が歩きやすいことは歩きやすいのですが、どうにも邪魔になってしまい、なくても歩けることが分かりましたのでやめてしまいました。退院から一ヶ月過ぎた、9月3日にいわき医療センターに検診に行ってきました。担当の先生からは順調に進んでいると言われ車の運転も了解してもらいました。運転についても家族の反対はありましたが、私の意見を取らせてもらいました。これはもともと今回大破したプリウスが3回の車検が終わったので、その前に次のハリアーを申し込んでおりました。9月23日新しい車に乗っていわきに戻ってきました。次の日24日から広野工場にも通うようになりました。

初めのころは四倉駅から部屋までタクシーを頼んだりしましたが、次第にいわきに用事で出かけるときも歩くようになりました。以前に比べ時間がかかるようになったので10分くらいの距離も倍くらい多くみて時間を調整しています。

今回はみなさまにご心配並びにご迷惑をおかけしました。今後ともよろしくお願いいたします。動けるうちはどんどんやりたいことをやっていこうと思っています。

いわきロボット研究会
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親睦会の快気祝い
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福島県廃炉産業ビジネス総合展
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廃炉内の掃除機
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記念撮影久しぶりのY先生
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