矢浪 裕志

 東日本大震災から1年が経つ3月に入りました。11日は日曜日になりますが各地で様々な慰霊・鎮魂の行事がおこなわれることでしょう。亡くなられた方には哀悼の意を表します。未だ仮設住宅等戻る事が出来ない、住居や仕事を喪失した方々には1日でも早い復旧・復興を成し遂げてもらいたい、そしてどんな困難にも負けない気持ちを持って行きましょう、と声をかけたいと思います。
黙祷!   
合掌!

 3月から広野町役場も湯本から従来の広野町に戻って来ました。福島県の報道は1面に載るほどの扱いになっています。先ずは同慶の至り感謝申し上げます。1年を迎えましたが、まだまだ避難先から戻らない又は戻るのを止めて新たな生き方を始めた、そして未だ様子見の多くの人たち。見舞金が出ている間はもどらない人たちも少しでも早い復帰を祈っております。広野工場は昨年7月16日から復興再開しましたが、工場内の外は殆ど除染しませんでした。それでも2,000坪の10分の1は工場の外なので駐車場やその他は、幾分室内より放射線量は高くなっております。従業員の中には気になる人もいて、草を刈るように要望がありました。以前ですと手空きのときに従業員が草刈機で草を刈ったのですが、今回は再開するに当ってそれはやらない条件もありました。どうやら国は除染の費用は出すようで、我社も2月半ばから除染を始めました。除染費用の請求先は広野町になります。先ずは放射能測定をして除染後と比較する為に現状を測定する事から始めました。思ったより低く測定方法も周りを鉛の筒で遮断して測定するので地面からだけの周りに影響されない数値になります。おのずと放射線量の数値は少なくなります。除染には3月いっぱいかかりそうです。それにしても中間貯蔵施設を早く決めないと、トンバック(廃棄物の入れ物)が工場の隅から移動できません。工場なら敷地に余裕がありますが各家庭になると、敷地に余裕のある所ばかりではなく除染が進みにくいと思われます。相双地区特に放射線量の多いところは、数十年と言うスパンで戻ることが出来ない現実があるわけです。大所高所から見れば何処に施設を置くべきか自ずと答えが解ります。早急な決断を望みます。

 がんばろう福島の研修、3人1組で採用した従業員と共に社外研修の為2月17日と18日で関東へ行ってきました。2日間で5社を訪問しました。特にS社では2時間以上も見学研修時間を頂き質疑応答で関連作業について聴けて勉強になったと思われます。こちらの方に殆ど来た事がなく地理不案内で年齢的にも二十歳代なので宿泊場所にも連れて行きました。その夜は駅そばの高層階にある居酒屋で川崎の夜景を見ながら語り合いました。

 29日朝、明るくなって外が雪化粧になっているのが見えました。この冬は積もらないのかと思っていたら2月の最後の日に降りました。スタッドレスタイヤがないと通えない程の日は今回が初めてです。あおりを受けて事故になってしまい、来ない従業員もいました。シンシンと静かな日になりました。