矢浪 裕志

爽やかな青空が輝いていました。6月の最終週の土曜日が目の覚めるような青空なんて今までになかったのではないかと思います。今年の梅雨は短く早く明けたからなのでしょうか。“55期経営指針発表会”は3年ぶりに宿泊を伴う行事にしました。那須塩原市にある“リゾートホテルラフォーレ那須”に何年かぶりに訪れました。家族連れが多く見受けられました。それでも日帰りで戻りたい人が数名はいました。次の日も朝から青空の天気でした。

 川異研の7月移動例会と暑気払いが先月に続いて開催されました。はとバスで行く東京タワーメインデッキ見学、ホテル雅叙園東京の洋食ビュッフェの昼食と“100段階段”の見学、迎賓館赤坂離宮見学というコースでした。早すぎた梅雨明け宣言をあざ笑うように雨と曇りの日が続いていた14日の事でした。はとバスは2回目と記憶していますが今回バスの乗車率は7割くらいに見えました。年齢は高めが多かったと思います、時間と経済に余裕の人たちの集団ということです。東京タワーの真下ではメインデッキから安倍元総理のお葬式が行われた“増上寺”を見ることが出来ました。修学旅行か遠足なのか小学生の高学年と思われる集団が見学に来ていました。次は昼食を含んだコースの目黒雅叙園に行きました。昔友人だった人の結婚式に呼ばれて参列したことが思い出されました。印象に残っていたトイレを見てみましたが豪華な作りは変わらずにありました。橋があってその下には川が流れています。昼食のお肉類はホテルの用意した数種の肉が乗った皿を持ってきてくれて、それ以外は使い捨ての手袋をしてお盆に料理を取ってくるやり方でした。どうしてもとりすぎて食べ過ぎてしまいます。時間がたっぷりあり、食後に100段階段の展示場を見るコースになっていました。光を使いその陰影を利用した幽玄な雰囲気をつくりだす演出でした。とても不思議な世界です、見ておいて損はないと思いました。時折強く雨が降り始めホテルから出るのを躊躇されてしまう。外国からの要人が見えた時に、ニュースなどの報道で見たことがある“迎賓館赤坂離宮”の見学が最後でした。コロナ禍のために賓客が来られないのだから、はとバスのコースになっているのかは判りませんがなかなか見られないものと思っていました。フランスのベルサイユ宮殿を模したと思っていました。「かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった場所に明治42年(1909年)に東宮御所として建設されました。明治時代の建築家片山東熊(かたやまとうくま)の総指揮の下に、当時の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した、日本における唯一のネオバロック様式の西洋風宮殿建築です。」とパンフレットに書かれていました。建物の中にいる女性の警備員は触るな、寄っかかるなと何度か言われました。ドアノブ、壁など金箔で覆われたところがいたるところにあってくどいほどです。中にいた説明員にどのくらい国費を使ったか聞いたが答えはありませんでした。戦後外国の賓客を国として接遇するための施設の必要性が高まったため、5年有余の年月と108億円の経費をかけて村野藤吾の設計で改修が行われ、昭和49年(1974年)に現在の姿になりました。と書かれてありました。でも小さな改修や掃除は頻繁にしているようです。この日は夕方に暑気払いが川崎の“鮪やきとり須田”で行われましたが、食欲はあまりありませんでした。お昼に食べ過ぎました。

 母の23回忌の案内がお寺から来て、3連休の18日に川崎の真宗寺という浄土真宗のお寺で兄弟、子供たちその子供たちなどが集まってありがたいお経を聞いてきました。兄弟の中で一番上の姉が亡くなった母の年を超えています。私もいつ亡くなってもおかしくはない年だなと自覚されました。

 安倍元首相の国葬に賛否があるようですが、私は国費を使っての葬儀は反対です。別のところに使ってください。暑い夏が本格的になるようです。欧州では40度越えイベリア半島では50度に近い温度になり、山火事が多発しているようです。暑さに負けずに体をご自愛下さい。

国宝迎賓館赤坂離宮
国宝迎賓館赤坂離宮
母の23回忌法要
母の23回忌法要
みんなで墓参り
みんなで墓参り

経営指針発表会前の記念撮影
経営指針発表会前の記念撮影
各自経営指針発表
各自経営指針発表
表彰式
表彰式
経営指針発表会後の会食
経営指針発表会後の会食
変圧器の改修
変圧器の改修
東京タワーの威容
東京タワーの威容
ホテル雅叙園の廊下
ホテル雅叙園の廊下
ホテル雅叙園のせせらぎ
ホテル雅叙園のせせらぎ
100段階段の部屋1
100段階段の部屋1
100段階段の部屋2
100段階段の部屋2
100段階段の部屋3
100段階段の部屋3
法要の後の記念撮影
法要の後の記念撮影