広野便り2012
◆ 2012年05月  連休の過ごし方

矢浪 裕志  折角の連休なのに、この数年はでかけることもなくその時の都合で横浜の自宅にいるか、四倉のマンションに少しだけいるか、そんな過ごし方をしています。今年は1日2日と出勤日なのでそれを終えてから横浜へ帰りました。2 […]

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広野便り2012
◆ 2012年04月  除染中

矢浪 裕志  暖かい日がつづく様になってまいりました。お彼岸は両親が眠っている 菩提寺にお参りに行ってきました。紅梅白梅が咲き誇って季節が感じられました。『春は曙』日の出も5時頃には明るくなって来て、過ごし易い季節になり […]

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広野便り2012
◆ 2012年03月  本格的に除染

矢浪 裕志  東日本大震災から1年が経つ3月に入りました。11日は日曜日になりますが各地で様々な慰霊・鎮魂の行事がおこなわれることでしょう。亡くなられた方には哀悼の意を表します。未だ仮設住宅等戻る事が出来ない、住居や仕事 […]

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広野便り2012
◆ 2012年02月  新春交流会

矢浪 裕志  昨年暮れも押し迫った、27日新潟県は上越市の柿崎へ息子と行ってきました。妻の父親が亡くなりました。寝たきりになってからでも一昔になるようで、3年ほど前にお見舞いに行った時は、自分では何もすることが出来ており […]

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広野便り2012
◆ 2012年01月  年賀挨拶

矢浪 裕志  年始は横浜の自宅で過ごしました。3が日は墓参りと近くの東急へ買い物に行ったきり家でのんびり過ごしました。2日は弟夫妻と姉夫妻、子供たち家族が来て賑やかに初顔合わせをしました。次の年にはまた一人か二人は増えて […]

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広野便り2011
◆ 2011年12月  広野工場20周年

矢浪 裕志  緊急時避難準備区域を外れてから2ヶ月過ぎましたが、住民がもどった様子は聞こえて来ません。除染しているようにも見えていません。川内村の村長のように何時までに村に帰るとぶち上げて、広野町も必死になって帰れるよう […]

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広野便り2011
◆ 2011年11月  広野工場復興11月

矢浪 裕志  満額年金をもらえる64歳を迎えました。未だ報酬がそれなりにあるので年金を請求すると大幅にカットされてしまいます。もう少し様子を見ます。近頃、またぞろ年金支給年齢を68歳から70歳迄延ばすことを検討しているよ […]

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広野便り2011
◆ 2011年10月  広野工場復興10月

矢浪 裕志  総理大臣がまたまた変わり、福島県に入った野田総理はこう宣言しました。『福島の再生なくして日本の再生はない』とても力強い頼りになる言葉です。実行する為に全力を尽くすならば。6ヶ月が過ぎマスコミで特集が組まれそ […]

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広野便り2011
◆ 2011年09月  広野工場復興状況

矢浪 裕志  9月に入り広野工場が復興再開して1ヶ月以上が過ぎました。予定の半分も進んでいません。前もっての計画がずさんであることが最大の原因ですが、人的資産が確保出来ていないのと仕事の流れがスムースに行っていないと思わ […]

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広野便り2011
◆ 2011年08月  広野工場復興再開

矢浪 裕志  7月19日から広野工場で復興再開に入りました。始めるとそれなりに訪問客が来たり、問合せ復旧工事の人達也が来て賑やかになりました。残念ながら放射能汚染化でその影響を危惧して退職する従業員もあり、本格稼動には時 […]

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